人生を楽しむ

二十代の半ばまで、私が自分の人生で大切にしてきたものといえば”ひたむき”という言葉で表現されるものだった,と思います。そのころまでの私は、一生けん命、とにかくひたむきに生きることに最大の価値を見出していた、と言っても良いかと思います。

ただ、二十代の前半、特に教師をしていたころ、そうした一途な生き方に本当にこれで良いのか、とどこか違和感を覚えていた自分を意識していたのも事実です。

そういう私に決定的な影響を与えたのは、25歳のころ、留学していたドイツで体験したひとつの出来事でした。体験した、といっても何か特別な出来事があったというわけではないのです。どういう場所だったのか、今ははっきりとした記憶はないのですが、確か、お茶を飲むような場所での周りの風景が私に大きな影響を与えたのです。

多くのドイツ人が生活の場として集まっているその場に居て、ふと、ああ、ここにこうしている人はみんなそれぞれの人生を楽しんでいるんだな、ということが、まさに目からうろこ、という感じで電撃のように頭を貫いたのです。

人生を楽しむ。それまで私にとっては人生を楽しむことはまったくと言っても良いほど大切なことではなかったように思います。なのに、ここにいる人はみんなあたり前のように淡々と人生を楽しんでいる。そのことに改めて気がついて衝撃を受けたのです。

このころから、私は、ひたむきに生きることだけではなく、人生を楽しんで生きる、ことにも積極的な価値を見出すように努力をし始めた、と思います。

人間的であること、というのは自分の持っているさまざまな人間的欲望をただ単に押さえつけ制限することで得られたり生み出されるものでははなく、それを開放することによって生み出されていく側面もあるのだ、ということをそれ以来意識するようになった、ということもできます。

といっても、日本で暮らしている今の私はドイツで暮らしていた時のころのように、ゆったりと人生を楽しむ余裕はどこかなくしているようにも思います。

それに対して、妻たちは人生を楽しむことを本当に上手にやっているな、とつくづく思うこの頃です。

今日は息子の成人式なのですが、それにかこつけて仲の良い四人の息子たちが一緒に写真を撮ることを小学校時代の母親たちが計画し、それだけではなく、息子たちと母親で一緒にランチすることを計画しています。夜は中高の時代の母親たちが今度は一緒に食事です。

こういう時、残念なことに父親たちはほとんど蚊帳の外です。親父の会と言うのもありはしましたが母親たちのエネルギーにはかなわない。

いつも父親は蚊帳の外に置かれているのですが、昨年の暮れ、私が男の友人たち四人で忘年会をした時、妻から、何で男だけなの、と文句を言われました。(四人の妻たちも顔見知りで仲良くはあったからですが)

人生を楽しむエネルギーはどう見ても妻たちのほうに軍杯が上がっているように思えます。