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zoom RSS 同じ土俵の上で戦う

<<   作成日時 : 2012/10/22 21:31   >>

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一口で対立、と言っても、同じ土俵の上で争うそれと、そうでない場合とでは争いの質がまったく違うように思います。

同じ土俵の上で争う、というのは共通のルールで、紳士的に争う、という意味であり、争う目的が相手を徹底的に打ちのめすことにあるのではなく、対立をアウフヘーベンすることによって、新たな価値を創造するところにある、ということです。

当然対立のための対立ではありませんから、お互いに相手の言わんとするところを理解しようとするのはあたり前です。理解し、議論を積み重ねていくことで、新たな価値を作りだそうというものです。

これに対し、同じ土俵で争わない場合というのは、とにかく相手をやっつける、もしくは屈服させることが目的になります。旧来型の反対運動の奥はこのパターンから抜けきれません。社会がまだ十分に民主主義(問題解決のルールの共有)の点で成熟していないときに起こりやすい現象だと思います。

例えば、原子力発電をめぐっての歴史的な争いは間違いなく後者、つまり同じ土俵で争わない対立でした。推進派と阻止派は土俵を同じくせず、ただ、相手を屈服させることを目指して争いを繰り返していたのです。

当然のことながら、このぶつかり合うから、何か新たな価値が生まれやすい状況にはなかったのです。

推進派も阻止派もお互いに対して超えることのできない溝を感じていたわけです。そしてそのことが、数々の情報隠しを呼び起こしましたし、低次元の嘘や、隠ぺいを作りだしていったのです。このことがいかに非生産的であったかは数々の出来事が証明しています。

原子力発電の事故隠しの原因の一つは間違いなくこの不毛な対立がその奥深いところでの原因になっているように思います。

話し合いでは解決できない、というように阻止派も信じ込んでいたようですから、同じ土俵には乗り難かったのでしょう。

しかし、これからは、不毛な対立のための対立ではなく、事実と自分に対して誠実であることを基本に、話し合いを積み重ねていくことで、新たな知恵を見つけ出していく必要がある時代だと思います。

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